サンタマリア (Santa Maria)
サンタマリア・バレーはサンタルシア山脈から太平洋に向かって伸びており、数千年前からチュマシュ族インディアンの母国だった. 彼等はオークの木が生える周辺の丘陵斜面、アメリカスズカケの木の間のサンタマリア川岸、および海浜地域にその家を建てた. 海洋での釣りのためには、トモルと呼ばれる板で作ったボートを持っていた.
1769年、ガスパル・デ・ポルトラの遠征隊が、スペインによるカリフォルニア植民地海岸の初の陸路探検で、モントレー湾に向かうときにサンタマリア・バレーを通った. 1772年には北方にサンルイスオビスポ・デ・トロサ伝道所が、1787年には現在のロンポックに近い南方にラ・プリシマ・コンセプションの伝道所が設立された. 1821年、メキシコ独立戦争の後でスペインがこの地を離れ、サンタマリア・バレーの伝道所とその土地は1844年にランチョ・プンタ・デ・ラグナと呼ばれるメキシコの特許土地となった.
1850年、カリフォルニアがアメリカ合衆国の州に昇格すると、肥沃な土壌が農夫や開拓者を惹き付け、サンタマリア川バレーは州内でも最大級に生産的な農業地帯となった. 農業は現在でもサンタマリア市と周辺地域の経済にとって主要産業であり続けている.
1869年から1874年、渓谷の著名開拓者のうちの4人、すなわちルドルフ・クック、ジョン・ソーンバーグ、アイザック・フェスラーおよびアイザック・ミラーが今日のブロードウェイとメインストリートの角にある土地を耕作した. 町の地図は1875年にサンタバーバラで記録された. この新しい町は当初グランジャービルと呼ばれ、続いてセントラルシティと呼ばれた. 市名は1885年2月18日にサンタマリアに変更された. これはこの町宛の手紙が間違ってコロラド州セントラルシティに送られることがあったからである. サンタマリアという名前は、開拓者のフアン・パシフィコ・オンティベロスがその25年前に自分の資産に名付けたものを使った.
サンタマリア・バレーでは1888年に石油開発が始まり、世紀の変わり目頃には大規模な油田発見に繋がった. ユニオン・オイルが町の南にあるソロモン丘陵でオーカット油田という大きな油田を発見し、多くの小規模石油会社とともに油の汲み上げを始めた. 1903年が終わるまでに、ユニオン・オイルは22の油井を運転していた. その後も幾つかの重要な発見が続いた. その後の80年間で、幾つかの大規模油田が発見され、数千の油井が掘られ、石油を生産していった. 1930年代にサンタマリア市の南部と西部の地下でサンタマリア・バレー油田が発見され、石油開発が強化され、それまでにも増して市は成長を遂げた. 1957年までにサンタマリア・バレーで1,775の油井が運転され、6億4,000万ドル以上の価値がある石油を生産した.
地図 - サンタマリア (Santa Maria)
地図
国 - アメリカ合衆国
アメリカ合衆国の国旗 |
アメリカ合衆国(United States of America)の頭文字を取って「U.S.A.」もしくは「USA」、合衆国(United States)の頭文字を取って「U.S.」もしくは「US」、または単にアメリカ(America)とも称される.
通貨 / 言語
ISO | 通貨 | シンボル | 有効数字 |
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USD | アメリカ合衆国ドル (United States dollar) | $ | 2 |